LEDと蛍光灯が手放してしまったもの

今回は照明についてお話ししたいと思います 。
今日仕事を終わりスポーツジムに行ったときのことです。休憩するベンチで気のいいお兄さんと話をしていたら、「薪ストーブのある家っていいよね。」「ホームセンターで買いたいんだけど、あれどうかな」という話になりました。
実際、薪ストーブのある家は数件建てさせてもらっていて、ストーブ自体は安いけれども専門業者に頼んだりして、「煙突とかそういうものにお金がかかるよ」という話をしました。そして家が燃えてしまってもいけないので、ストーブの周りの材料を燃えなくすることが必要だという話をしました。床とか壁をタイルやレンガや燃えないものにする。そこに予算がかかるよとお話ししたんです。
そして暖炉風のファンヒーターはいまどき1万円ぐらいでネットで売ってるから、あの暖炉風のファンヒーターではダメかという話をしました。それでもお兄さんはリアルな炎を見ながらいたいという話をするのですね。
今お話ししているのはクリスマスが近いのですけど、クリスマスのカップルなどは少し暗くしてキャンドルなんかで雰囲気を作って、二人で過ごすとかするかもしれません。なんでそんなことするのかっていうことなんですね。 LED や蛍光灯じゃダメなんですか?話なんです。
家を建てるときに多くの建て主さんは明るい方が良いって言います。 LED は電球がきれませんし、勉強しやすいように明るい部屋にしたいというのです。
それでもいざという時にクリスマスとかにキャンドルをつかう。思い出を作りたいためにキャンプに行ってキャンプファイヤーを見るのです。
ろうそくのゆらゆらはためく炎を見ていると分かるのですけれども 、LED や蛍光灯が手放したものは、炎がはためく空間の鼓動を感じるようなことなのですね。
空間が生き物のように感じる感覚、空間のい気づかいや心拍すら聞こえるということを、LEDの照明は手放してしまったのです。
それは量子力学のようなものを目で見て肌で感じられることだったものを、わからなくしてしまったということです。