藤沢周平の時代小説「たそがれ清兵衛」は
1983 年に新潮に掲載された小説です。
昭和の価値観を時代劇にはめ込んだものですが
平成が終わりかけた今も日本人の価値観に
十分語りかけられるように感じます。
「たそがれ清兵衛」の「たそがれ」というのは昼間に勤め先では元気がないのに、
夕方になると元気になり病気の妻の介護に早く家に帰るために付いたあだ名です。
そんな冴えないイメージの清兵衛は剣の腕は免許皆伝でした。
そこに筆頭家老の堀を上意討ちする仕事を持ちかけられます。
上意討ちとは主君の命で指定された人物を討ち取ることで
内部の政権争いのための清兵衛には関わりのない仕事でした。
ですが、妻の病気を治すことのできる医者に見せられるとあって
清兵衛はその仕事を請けることになります。
物語では筆頭家老の堀を討つことに成功し、
良い医者に妻をみせるという報酬をうけとり
妻の病気は治ることになります。
その後、主を打たれた堀の護衛から命を狙われますが
清兵衛は無事に返り討ちにすることに成功します。
清兵衛は現在の藩での身分よりも良い身分と
禄高をもちかけられますが、
妻の治療の費用だけを受け取り他を辞します。
おいしい食事の出る良い旅館にて夫婦で療養しますが、
それに飽きて夫婦でもう家に帰ろうというシーンがあります。
健康な妻といっしょであれば贅沢すらいらないと言う
いかにも時代劇的な幸福感ですが、学ぶべきものもあります。
「たそがれ清兵衛」のシーンには
皆がそうしたいけど、なかなかできないことがあります。
簡単なことなのですがなかなかできない。
「たそがれ」だといって笑いものにしてしまうことなのです。
それは
○妻の世話をするために早く帰宅する
(家族のために早く帰る)
それはたとえ筆頭家老を討ちとる日であっても
妻の世話を優先して若干遅れてきます。
(仕事よりも家庭を優先する)
仕事があるからと家族をないがしろにしてはいないかと
多くの時代劇は優先順位はなにか?を
現代の私たちに問いかけてきます。
藤沢周平の時代小説は他にも面白いものが多く
「隠し剣 鬼の爪」などもおすすめです。