伽藍(がらん)を感じるということ(配置を感じる喜び)
先日現場の帰りに一宮の妙興寺に寄ってきました。
妙興寺というお寺の境内がとても雰囲気が良くて気に入っているので、
私は一宮に行くとよく寄る場所です。
お寺の境内のことを伽藍(がらん)と呼びます。
がらんというのは閑静で清らかな場所のこと言います。
それからお寺の建物の配置という意味もあります。
私が行った時にはちょうどお寺の人が夕方で清掃している時でした。
静かな境内の中に竹ほうきの音が響いて
それは雰囲気が良かったので、しばらく境内で音を聞きながら過ごしました。
がらんどうの意味は建物の内部ということですが、
伽藍は建物内部ではない状態でガランとしたことです。
境内をよく見てみるとが伽藍を作るために樹木を剪定して整えたり
間引きして維持しているのが伺えました。
伽藍を維持するために毎日のメンテナンスを行っているということです。
妙興寺の伽藍の山門や鐘楼そして仏殿 の全てが
とても良いバランスで私はとても気に入っています。
中でも伽藍を感じるのは山門になります。
山門の付近に入ってさらに中を歩くと伽藍(がらん)を感じます。
それは間というものと違うのか?
がらんどうとは違うのかというところなのですが、
間は何か物と物との間を感じるもので、
がらんどうはスペース、建物の内部というイメージがあります。
それに対して伽藍は配置そのものを感じます。
ですから山門の柱の間に入ると柱の配置を感じるし、
山門と仏殿の間や脇を通るととても建物の配置を感じるのです。
伽藍や建物や樹木の配置を感じながら歩くのとその存在を感じないで歩くのでは
また違った感覚なので一度、建物や柱や樹木の配置の間に抱かれる
静寂を感じるということを気にして、お寺の境内を歩いてみることをお勧めします。
例えが難しいですがドラゴンクエストなどのゲームにてマップを把握している状態で歩くのと
マップが把握できていない状態で歩くのでは、脳の知覚が異なるため
地図や街の配置を把握した状態で歩くと脳がより喜びを感じるということです。
脳の中ではドローンで上空にいるように俯瞰して感じるはずです。
どこのお寺でも必ず伽藍というものを感じられるはずです。
あまり混雑している観光名所のお寺を歩いても
ざわざわとうるさくて伽藍あまりを感じないので
あまり人のいない、すいている一宮妙興寺のような場所がオススメです。