手垢がつくと良いと感じる「なれ」という文化
私たちは古ぼけたものを見ると安らぐ感情があります。
手垢がつくと良いと感じる「なれ」という文化です。
谷崎潤一郎さんの「陰翳礼讃」の中には西洋紙と和紙ついての話が書かれています。(いんえいらいさんは今から80年ぐらい前に、西洋の文化が浸透してきて日本の文化に良さみたいなものをもう一度考え直そうということで書かれたものです。)
西洋紙はつるつるしていて和紙の持っている柔らかい初雪のような面ではないと書かれています。
和紙はしなやかで折ってもたたんでも音を立てない、静かでしっとりしとしていると谷崎は言います。
日本人はピカピカ光るものを見ると心が落ち着かないと書いてあります。
金属もニッケル製などを使って西洋人はピカピカにするけれども、ピカピカしたものは私たちは嫌いだと言っています。
銀の食器を使うこともあるけれどもむしろピカピカしないものを好んで使い、お手伝いさんがピカピカに洗うと主人に怒られるという風に書いてあります。
馴染んできて古ぼけた感じのものを味わうのは、私たちの文化だというのです。
ルビーとかピカピカしたものじゃなくて、鈍い光を持っている石の塊に魅力を感じるのは我々東洋人で、ガラスでも透明度というものにこだわっているわけではなく、混じり気のあるガラスに趣を感じることが我々はあると言います。
手垢の味や手作りみたいなものを好む私たちの文化の中にあるということです。
私達の文化には「なれ」というものがあります。
人の手が触ってもツルツルになっていくと油が染み込んでそれが味わいになってくるという話です。
新品ではなくなってくる「なれ」いうものが好きだいうことなんですね。
私たち日本人は垢とか油みたいなもの汚れがついたものを愛しているということで、そういった「なれ」のあるものは神経が休まると言います。
「なれ」のあるものを使ったり、建物の中にいると奇妙に心が和らいでくるのです。
現在はアメリカ人でも日本人でも わざわざフローリングを傷つけて緑の塗装したり、ユーズドファッションを楽しんだりします。
インテリアでもよく見られる古ぼけた感じというのも、ファッションとして受けられてきています。
現代の日本人の感性にあっては、本当に古いものというのは気持ち悪いという感情もあって 、古く見える新品程度の見た目だけ古いというフェイクのほうが多いのかもしれません。